頑張りすぎちゃう病。

おい。自分の限界を知ってるか。

自分のペースを知ってるか。

わたしは頑張りすぎちゃう病だ。

限界が来てもう無理ーって泣くまで

頑張りすぎてることに気づかない。

無理してる。

全力でアクセル踏んでる。

ガードレールにぶつかりまくりながら走ってるようなもんだ。

ほんでもって全力でブレーキ踏む。

そりゃぶっ壊れるよな。

何でだ。どうした。

もっとうまく生きられないのか。

だから精神病患ってるんだけど。

頑張りすぎ病だよね。

緩め方しりたい。

お金を稼ぎたい。障害年金は生活費と躁状態で消えていく。

私はお金を使うことに不安がある。

こどものころ、学校で「ユニセフ募金」があった。

善意の塊だった小学生の私は、小学生にとっては高い「1000円」を寄付した。

どきどきしながら親に話した。その途端、叱られたのである。

私はこの体験以来、自分で判断してお金を使うという行動に自信が持てないでいる。

生活に必要なものを買うことはできる。ただ、欲しいと思ったから買う、ということが不安だ。そして買ってしまったあと罪悪感を覚える。欲しいものを買ってもそれでは不幸である。

iPadminiが壊れてしまった。修理するとまるっと買うのと変わらない値段がかかるという。

そしたらば、新しい機種を…となるといいやつが欲しくなる。キーボードを含めて10万以上。欲しいが判断できない。いや、自信が無い。

金を稼げればいいのに。自分の金だったら好きなだけ使えるのに。

躁状態のときは、後先考えず80万使ってしまう私は、普段はびびりなのだ。

そう考えると躁状態の異常さがよくわかる。

私はまだ働くことができる状態ではない。

服薬をして生活していくのがやっとである。

金が欲しい。

私を活かして稼ぐ道はないか。

働きに「出る」ことが難しいので、家で、、そう、文章を書くような(・ω・)φ仕事はないだろうか。

私の文章に価値は生まれないだろうか。

まだまだ生き方模索中。

自己矛盾を受け入れる

私は、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような人だと比喩される。

実際に、自分の中で本音と建前の折り合いがつかずに、駆け出しては転び、駆け出しては転びを繰り返している。

真面目になって100まで頑張りもすれば、もう何も出来ず遊びたくなってはっちゃけてしまう。

青が好き。ピンクが好き。

かっこいいが好き。可愛いが好き。

貯金したい。散財したい。

いろんな自己矛盾を抱えて、誰しもが生きているのだろうけれど、その差が激しい。まるで、ジェットコースターのように。

だけど、考えた。

そうだ、自己矛盾をしている自分も自分なんだ。

受け入れよう。

そう思ったら、心が少し軽くなった。

私は私なのかも。

そのままでいいのかも。

自己矛盾している、両極端な、アクセルブレーキ全開なのが私で、それでいいのかも。両方を許せばいいのかも。

我慢しなくていいよ、建前に従わなくていいいよ。

本音でいいよ。その代わり、真面目でありたいっていう気持ちも、本物だから、誤魔化さないでね。

やっと自分のばらんすが作れそうな気がする。

空はどうして青いの

空はどうして青いの

もしもわたしが この世界に生まれて

そらが青くなかったら

悲しくて泣いてしまうにちがいない

このそらはいつまでも わたしのものでいて

つらかったときも

うれしかったときも

わたしのものでいて

うつになってから体がうまく動かないの

なまりみたいに重くなって四肢をつかまれてるみたいで

頭の中でさえ ぐるぐると良くないことが堂々巡り

息をすえない 吐けもしない

空の青さは そんなわたしを

少しでも救ってくれるの

だからどこまでも続いていて

どこからでも私を見つけて

そっと抱きしめて

そのやさしい色で

鬱期来る

頓服を飲んで寝る

とにかく寝る

肉食べる

やってもいいかなと思うことだけする

お風呂や歯磨き、着替えや身だしなみは最低限

希死念慮はやり過ごすしかないけど辛い

衝動的なのがいちばん危ない

鬱期を自覚すること

感情を客観視する

何が事象が起こったとき、何か言われたり起こった時、すぐ否定的な「感情」が芽生える。

なんでそんなこと言ったんだろう。

むかくつ。

はらたつ。

嫌な気持ち。

不安。

悲しい。

その感情の感じ方が大きすぎて翻弄されてしまう。

いつまでも感情に支配されてしまう。

感情を止めたり、無理に押さえつけたりすると、負債が溜まってあとで爆発してしまうので感じきった方がいい。

そんな時に役立つのが、客観視する方法。

ただひとつ、「わたしは」をつければいい。

わたしは悲しい。

わたしは怒っている。

わたしは不安な気持ちだ。

それだけで、あ、自分はそういう気持ちなんだ、って認識できる。

認識できるっていうことは、それを認めているってこと。

そんな風に思っちゃダメだとか、抑制しないで、あ、わたしは今悲しいんだ、怒っているんだって認識する。

そうすると気持ちが落ち着く。感情が暴れない。

認めてもらえたと安心する。

まずはそこから始めてみよう。

分離不安。

夫が出張に行くとき。

不安でしょうがない。行かないで。寂しい。どうしたらいいの。不安だよ。

気分の波が平坦な時は大丈夫だったのに、鬱期に入って不安が増してしまう。

家の中でも姿が見えないと不安になって探し回る。

相手にとっては「トイレに行くだけだよ」それでも。

昔から不安症状は強かった。生活に支障があるくらい。

抗不安薬を飲んでしのぐ。

頓服で飲んでいたロラゼパムを一日3回+頓服分で処方してもらった。

自分に自信がない、愛情の確認がしたい、安心したい。みんな繋がってること。

安心したい。

気分はどん底。無理に這い上がろうとしなくてもいいのかも。

鬱期は何もやる気力が出ない。休もうとしているからだ。

でも頭の中は焦って自責の念で休めていない。

今まで面白かったドラマも本も音楽も、全部灰色の石になってしまった。

息は吸いづらい。

気分はどん底。

なんとか這い上がろうと外に出てみたり、気分を上げようとネットショッピングをしてみても、何一つ効果がない。

眠れもしないのに寝たい。

這い上がろう、立ち直ろうと努力するのにも疲れちゃった。

ただただ何の負担もなく休みたい。

それが鬱期。

這い上がろうと立ち直ろうとすると辛いかも。

無気力でいい。

鬱期が終わるまでは5〜20%の力でのろのろ進むしかない。

希死念慮と衝動

わたしの症状のひとつに希死念慮がある。

死にたいと思う気持ちである。

はっきり原因はない。

つらいから死にたい。

消えたいとも近い。

もう全部やめたい、楽になりたいも同じ。

自殺についてぼんやり、飛び出せば、とか飛び込めば、とか薬をたくさん飲めば、とか、本当にぼんやり考えたりする。

実際に計画するのは自殺企図といって、希死念慮とはちょっと違う。

希死念慮は”症状”だ。

うつ病や双極性障害にはついてまわる”症状”だ。

風邪ひいて咳が出るようなもんかもしれない。

「なんで死にたいの」「死んじゃダメだよ」「死んでどうするの」そんな声がけは見当違いだ。やめてほしい。しんどいだけだ。

風邪だから咳が出るだけで咳しちゃダメとかなんでせきするんだよとか言われても困る。うるさい。

受け止めてほしい

「死にたいぐらい辛いんだね」「いま希死念慮なんだね」それだけでいい。

出来れば温かい紅茶とか、毛布とか、涙を拭くためのティッシュとか、優しさをもらえたら。

恋人や友達が希死念慮を止めることはできない。自分でもコントロールできない。思い直す、とかではない。

頓服飲んで寝た方がいい。

眠れないなら横になってそばにいてもらえれば。

ポツポツこぼれるようや言葉をただ聞いてもらえれば。

衝動的なときはあぶない

ぼんやり死にたいだけの希死念慮はなにも起こらないことのほうが多いけど、追い詰められて興奮してる時は危ない。

「逃げなきゃ!今しかない!」「もうダメだ!限界だ!」

衝動性もわたしの”症状”だ。

そういうときは鎮静作用のある頓服をすぐ飲んだ方がいい。副作用で傾眠するぐらいがいい。

私は家を飛び出して川まで行ったことも、

家を飛び出しで踏切まで行ったこともある。

おもむろに酒を買い、駅のホームで電車を見ていたこともある。

衝動があるときは本当は望んでない死が近づくことがある。

助けてほしい!と心の中で叫びながら自滅の道を選ぼうとする。

これは全部私の場合です。薬でのコントロールは本当に大事だけど、たくさん薬を飲んでるせいで希死念慮が出てくることもある。医師と相談しなければならない。

SOSを出すのは難しい

鬱期はとてもとても辛いです。こんなに希死念慮をかかえながら毎日過ごすなんて。

助けてくださいは、近い人にこそ言いづらいものです。

程度も伝わりにくいです。

本当のSOSなのか、

いつもの「つらい」なのか。

明るく「そろそろほんとにやばい」っていう場合もあります。そもそもSOSを出すのが下手です。我慢します。強がります。

どうか助けてください。小さな悲鳴を聞き逃さないでください。

限界をとっくに超えてる時もあります。

私はパンクしていてもぶつかって事故って止まるまで走り続けるタイプです。

鬱期はつらい。それなのに頑張ってしまう。

疲れました。

休むってなに。

真面目で頑張り屋で考えが極端で偏ってる。自分はそうだと思う。

休むのが苦手だ。

休むってなに。

気づくと溺れてる。

溺れてる人に「力を抜いて、そうすれば体が浮くから。楽になるよ。」と言ったところで。

溺れて水を飲み込んで体が沈んでもがいてるんだから、体の力抜けるわけない。体の力抜いたら死ぬかもしれない。

そんな状態が続いてるわけで。

休むってなに。

大体休むと出てくる罪悪感はなんなのか。

「みんなは頑張ってるのに」「私は何も出来ないのか」「こんなぐうたらしてていいのか」「休んでる自分なんてダメ人間じゃないのか」

ほら、考えが極端で偏ってる。強迫観念みたい。休むな、頑張れ、動き続けろ。

壊れたのに壊れたまま頑張ってる。ボロボロのまま走ってる。

尖った針の上を歩いてるような危うさ。痛み。

これが鬱期。私の鬱期。

休むってなに。

無理しないで休んでねってなに。

家にいて何もしなくていいよ、でも休めないんだよ。焦ってる。責めてる。何したらいいのかわからないし、何がしたいのかもわからない。

楽しいことなんだっけ。動画も映画も本も好きだったものもどうでもいい。集中力もない。

休みかた誰か教えてください

症状のせい。鬱期が来る病気。希死念慮も死にたいわけじゃなくて、そうなっちゃう症状。

どう過ごせばいいんでしょう。

とにかく負担は減らしてもらう。なるべく。でも何もしないと自責の念に襲われるのでなにか小さな一つだけやる。生活のレベルは下げる。冷凍食品でもいい。風呂は入れなくてもいい。体洗えなくてシャワーかけるだけでもいい。

あとはとにかく寝る。眠れないけど眠くなったときに今だ!って寝る。

何もないけど何もないけどとりあえずなんか、とりあえずなんかないかな。

ぐるぐる考えをノートに書き出す。

休むってなに。