休むってなに。

真面目で頑張り屋で考えが極端で偏ってる。自分はそうだと思う。

休むのが苦手だ。

休むってなに。

気づくと溺れてる。

溺れてる人に「力を抜いて、そうすれば体が浮くから。楽になるよ。」と言ったところで。

溺れて水を飲み込んで体が沈んでもがいてるんだから、体の力抜けるわけない。体の力抜いたら死ぬかもしれない。

そんな状態が続いてるわけで。

休むってなに。

大体休むと出てくる罪悪感はなんなのか。

「みんなは頑張ってるのに」「私は何も出来ないのか」「こんなぐうたらしてていいのか」「休んでる自分なんてダメ人間じゃないのか」

ほら、考えが極端で偏ってる。強迫観念みたい。休むな、頑張れ、動き続けろ。

壊れたのに壊れたまま頑張ってる。ボロボロのまま走ってる。

尖った針の上を歩いてるような危うさ。痛み。

これが鬱期。私の鬱期。

休むってなに。

無理しないで休んでねってなに。

家にいて何もしなくていいよ、でも休めないんだよ。焦ってる。責めてる。何したらいいのかわからないし、何がしたいのかもわからない。

楽しいことなんだっけ。動画も映画も本も好きだったものもどうでもいい。集中力もない。

休みかた誰か教えてください

症状のせい。鬱期が来る病気。希死念慮も死にたいわけじゃなくて、そうなっちゃう症状。

どう過ごせばいいんでしょう。

とにかく負担は減らしてもらう。なるべく。でも何もしないと自責の念に襲われるのでなにか小さな一つだけやる。生活のレベルは下げる。冷凍食品でもいい。風呂は入れなくてもいい。体洗えなくてシャワーかけるだけでもいい。

あとはとにかく寝る。眠れないけど眠くなったときに今だ!って寝る。

何もないけど何もないけどとりあえずなんか、とりあえずなんかないかな。

ぐるぐる考えをノートに書き出す。

休むってなに。

やめていたロラゼパムをのむ。

ロラゼパム

イライラがひどい。不安が強い。焦燥感におそわれる。電車に乗る時にバクバクする。

そういうときのためにロラゼパムを処方されている。

毎朝飲む生活から、落ち着いて、お守りがわりの頓服として10錠持っているだけだったのに。最近はまた飲まないと生活がまわせなくなってきた。

混合状態が続いている。

また毎朝分の処方をしてもらった。

思い出せば去年の冬もうつ状態だった。

季節性なのか。

季節の変わり目は確かに頭痛がしたり自律神経が乱れたりしやすい。お腹もゆるくなる。

薬を飲んでいてもいい。生活ができればいい。

手帳を申請しようと思っている。必要なものは電話で保健所に問い合わせた。あとは揃えるだけだ。

助けがなければ生活ができない。

実母に家事育児を分担してもらい、夫にも休みの日は家事育児を代わってもらう。幼稚園の預かり保育にも利用する。負担がかかりすぎると、「自分が頑張らなきゃ」「自分が頑張ればいいんだ」と強迫されて休むことを忘れてしまう。

休みながら、できる範囲で生活を回す。買い出しに行けない、料理も出来ないときは生協に頼る。冷凍食品でもサラダは作る。

おにぎりパーティーにしたり子供たちが好きなおかずを弁当箱に詰めて食べる弁当パーティーにしたり、ビンゴゲームをしたり、工夫をして関わる。

どんなに辛くても生活はまわっていく。それが辛い時もある。

明日が来るのが辛い。眠りたくない。起きたくない。そんな日も多い。起きたら悲しい気持ちでがっかりする時も多い。

薬に頼っても人に頼ってもとにかく生きてく。希死念慮はあるけど。

いつか死ぬ。今はまだ死なない。それだけ。

燃え尽き症候群から始まった

燃え尽き症候群になったのは小学6年生の時だった。

塾、ピアノ、英語教室。週5習い事だった。

いわゆる優等生。

辛かったのは家族の不仲だった。

中学生になった姉が環境の変化に馴染めず、父親と喧嘩するようになり、両親も不仲に。姉と喧嘩、親からの期待、不安定な家庭。父は父で病んでいたし、母は稼ぐために働いていた。よくある機能不全家族なんだと思う。

体育授業で、味方が投げたボールを顔面に受け、「もう嫌だ。疲れた。」と思った。

体育館の外に転がっていったボールを探しに行くふりをして泣いた。涙を拭いてから「ごめんごめん、ボールあった」と戻った。

気持ちはボロクソだった。

中学に上がると不登校になった。もう頑張れない。

それでも真面目だったからスクールカウンセラーさんの教室に行った。

テストは受けた。

中3からメンタルクリニックに通い始める。親に黙って友達と行った。

混合性不安抑うつ障害。気分変調症。うつ病。統合失調症。名前はいろいろついたけどどうでもいい。

通信制の高校に通ってからも不調は続いた。

高校2年生、ついに閉鎖病棟へ入院。

家にいたくない。頑張りたくない。希死念慮、焦燥感、強迫観念、希死念慮。

電気ショック療法?をしたけれど治ったわけでもなく病院にいても辛いままだったので退院。

高校は一年遅れで卒業した。

理解してくれる人と結婚して数年かけて薬をやめた。調子は良くなった。子供を授かり、出産。産後うつ。一年間危なかったが、卒乳と共に持ち直す。

生理のたびに希死念慮に襲われて、PMDDを疑い産婦人科へ。症状が重いので精神科へと言われる。

双極性障害2型と診断。

気分が良くなって80万使い込む。かと思えば鬱になり希死念慮と焦燥感に襲われて寝たきりになったり家を飛び出して彷徨ったり。

それも薬である程度落ち着いてきた。

この先はどうしていけばいいんだろう。

どうなりたいか?

薬を飲んでいてもいい。生活が出来ればいい。でも不安定になると辛い。鬱も躁も辛い。周りにも迷惑をかけている。

自分らしさって何だろう?躁鬱も自分らしさ?それとも病気なだけ?

せめてコントロールができればいいのに。

我慢ばかりしていたら、自分の気持ちが行方不明

やりたくないけど、やらなきゃいけない。みんなが困るから。

やらなきゃ。やりたくないけど。

そんな理由ばかりでやることをやってきた。

反論したいけど、言っても怒らせるかもしれないし、関係がこじれるのも嫌だな。雰囲気も悪くなっちゃうかもしれない。

ストレートに言いたいけど、自分の気持ちよりも、相手が快く受け取れるように、言い方を変えよう。

そんなふうに自分の気持ちを押し込めてきた。

軋む心。歪む感情。抑制された本音。

その結果、自分の気持ちが行方不明になってしまった。

やりたいことも分からない。

0か100かしかないくせに、アクセルとブレーキの同時踏みみたいな心理状態が続いて、いうことを聞かないラジコンカーみたい。

理由もないのにすごく苛立つ。ひどい暴言が喉元まで出かかってる。暴れ回りたい。

抑制し続けた気持ちの負債が、そのツケを払おうと暴走してる。

薬で抑えられても、根本的な解決じゃない。

もっと自分に優しく生きてくればよかった。

精神疾患になる人は真面目で頑張り屋が多いのだと思う。

優しい人が多いのだと思う。

気持ちに矛盾を抱えて周りのために生きていくのは疲れた。

どうしたらいいのか分からないのが現状。

死にたいという気持ちの分解

私は辛いことがあると「死にたい」という気持ちになる。本当の死を望んでいるわけじゃない。

生きている限り頑張ってしまう。

もう辛くてやめたいのに、「やめる」ができない。

「やすむ」こともできない。

駆り立てられるように、やらなきゃ、やらなきゃってなっちゃう。

それは些細なことでも積み重なっていく。

トイレットペーパー、補充しなきゃ。私が補充しなきゃ誰もやってくれない。困る人がでてくる。

洗濯回さなくちゃ。みんなが学校幼稚園会社で何も困らないように。

ハンドソープ足さなきゃ。手を洗えるように。

自分が疲れてる、休みたい、なんて出来ない。子供たちが帰るまでに済ませないとやる時間がない。

自分を駆り立てて、うつ症状の重い体を引きずって、やめられずに布団のシーツを洗い、服の衣替えをし、予定を確認する。

いつ休めば?

休むためには大怪我するか病気になるしかない。

死ねばやめられる。

こんな考え方間違ってるのはわかってる。でも止められないんだ。誰か止めて欲しい。止めて欲しい。その気持ちが「死にたい」。私の場合は。

休んでいいんだよ、休んでねなんて声がけは力にならない。

徹底して私が休める環境を用意して欲しい。

夕飯も用意して欲しい。洗濯物も取り込んで欲しい。子供のお迎えも行って欲しい。私がひたすら布団で休めるように環境を整えて欲しい。心配事がなくなって、代わりにやってくれる人がいて、そこで初めて安心して休める。

「死にたい」ぐらいのうつ症状が出ている時は体がとにかく重い。心も重い。まるで胸がつっかえているように感じる。

何も考えられないし決められない。

そういうときは、とにかく鬼束ちひろの月光を聞いている。明るい曲を聴くより、暗いメロディーが悲しい歌詞が癒してくれる。

ご飯は食欲がなくなってしまうので、お湯を注ぐだけとか、食べるだけのものを用意しておく。手の込んだものは無理だ。

布団で横になっていてもぐずぐず考えて辛い時はあえてベランダで外を見る。

家族には状況が悪いので休みたいと公言しておく。

頓服はもったいぶらずに使う。

うつ症状は頑張っても治らないので、むしろ休むことが大事になる。自分が楽しいと思うことがなくなっている状態なので、いつも笑って見てたYouTubeをみることすらしんどい。

奮闘してはいけない。落ち込みと戦っては意味ない。計画を立てても目標を決めても首を絞めるだけ。

何もしない。何もしないことへの焦りもある。

死にたいからどうやって死のうまで考え始めたら危ない。医者に行ったほうがいい。強めの頓服を使ってでも衝動性は抑えた方が良い。本人のためにも家族のためにも。

うつ期はつらい。どうしたらいいのかもわからない。脳みそのせいでそうなってるんだから自分の気合いでコントロールできる物でもない。

辛いなりに毎日生きなきゃならない。

自分の足あとを残したい

子どもの頃から思っていた。

『自分は偉人になるのだ』と。

今思えばなぜそんなこと思っていたのか分からない。

それでも書くことが好きでずっと抱いてきた信念がある。

『自分が生きていた証を残そう』

『自分の足あとを残そう』

偉人になれなくても、今はいい。

思ったこと感じたこと考えたこと、私という人間がここにいた·こと、私という人となりをここに残したいと思う。

【双極性障害】専業主婦の双極ママの1日は何しているのか

双極性障害の育児ってどんなかんじ?何してるの?と思う方がいればの話ですが、書いてみることにしました。

あくまで個人の一例です。

ちなみに小学生と幼稚園生と未就園児がいます。

1日の流れ

朝7時半 起床(パパが6時半起きで朝食作り済み。いつもありがとう!)

朝8時 小学生見送り

園児と未就園児起こして一緒に朝食

パパが園児連れて登園、出勤

食洗機を回し、洗濯回して布団で休む

午前は布団で横になってすごす

未就園児のおむつを変えて遊び相手をする

12時 お昼を食べる(簡単なもの)

14時半〜15時半 小学生帰宅

16時 園児お迎え

17時 夕飯の支度

18時 夕飯

20時 子らとお風呂(いちばん疲れる)

21時半 寝かしつけ

0時 就寝

家族の協力が大事

双極性障害になるまでは、朝食もつくり、朝の園児送りもやっていました。日中は未就園児連れて公園や買い出しに出ていました。

いまはそれができません。

外に出るだけで疲れ、特に子供を連れて外に出ることに不安があります。

実母や義母に頼んでお迎えをしてもらったり、夕飯の手伝いに来てもらったりしています。

家族の力を借りないと、生活していけません。

子供たちのためにも、みんな協力してくれます。

罪悪感持たない方がいい

手伝ってもらうことになったとき、最初は罪悪感と自責の念で押しつぶされていました。

私が病気になったせいで、みんなが大変な思いをしている。私なんていなければ…と。

たくさん泣きました。

今はただ、感謝しています。

早く治そうとしないのが大事

早く治さなくちゃ、と焦ると、不安が募ったりイライラしたりします。焦りは毒です。

ただただ休むことが最優先。

良くなろうとしなくていい。

薬をきちんと飲んでたくさん休めば、少しずつ回復していきます。安定してきたら薬の調節をすれば良いんです。

何十万も使ったこともあります。家を飛び出して踏切まで行ったこともあります。

でも最近はそこまで大きな波は来なくなりました。

こんな母親で情けない。でも子供たちは大好きって言ってくれます。

目標は「薬を飲みながら、日常生活が送れること」

今は布団で横になってばかりで、部屋をうろうろしてばかりで、お風呂に入れない日もあれば歯磨きできない日もあります。

鬱のときは希死念慮で泣いてばかりです。

目標は「薬を飲みながら、日常生活が送れること」。

頑張らずに生きていきたいです。

不安だ

不安だ

不安でも生きていかなきゃならないんだ

なら不安に溺れたままでいいのか?

生きやすい方法を探さないのか?

いや生きやすい方法を探そう

息をする方法を探そう

泳ぐ方法を習得しよう

水から出て陸にあがろう

生きていくというのは

そういうことなんじゃないのか

だから不安になったら

方法を見つけるんだ

強さ弱さの問題じゃない

生き抜く方法を見つけるんだ