頑張りすぎちゃう病。

おい。自分の限界を知ってるか。

自分のペースを知ってるか。

わたしは頑張りすぎちゃう病だ。

限界が来てもう無理ーって泣くまで

頑張りすぎてることに気づかない。

無理してる。

全力でアクセル踏んでる。

ガードレールにぶつかりまくりながら走ってるようなもんだ。

ほんでもって全力でブレーキ踏む。

そりゃぶっ壊れるよな。

何でだ。どうした。

もっとうまく生きられないのか。

だから精神病患ってるんだけど。

頑張りすぎ病だよね。

緩め方しりたい。

自分が自分の味方になる(あたりまえで難しいこと)

自分の中で反発した二つの思考に板挟みになることがよくある。

片付けしなきゃ(思考)とやりたくない(気持ち)。

誰にでもあるけど、人によってそのときの行動は分かれるらしい。

やりたくない気持ちを無視して、嫌々片付ける人。

とことん休んでから、やる気になってやる人。

私は前者だ。いつも自分の気持ちを無視してしまう。

自分の気持ちを無視するのが常習化すると、、タチが悪い。自分がどうしたいのか分からなくなるからだ。そして鬱憤がたまっていく。

しかも、片付けたいじゃなくて、かたづけなきゃ。〜〜しなきゃは、自分のやりたいことて゛はない場合がほとんどだ。

それはかつて、親や学校、環境から学んだ「〜〜であるべき」「〜〜したほうがいい」とかから作られた自分なりの処世術かもしれない。でも本当はやりたくない。

自分のやりたいようにやりたいのに。

自分の気持ちを自分が無視する。

それはやがて「イヤイヤ期」になる。

自分の気持ちが暴走し始めるのだ。

やりたくない。あれもイヤ。これもイヤ。何にもしたくない。

休ませろ。遊ばせろ。自由にしろ。私を無視するな。

これは自分からのSOSだ。聴き逃してはならない。

3食きっちりとるのをやめる。食べたい時に食べたいものを食べる。飲みたいものを飲む。寝たい時に寝る。やりたくなったら片付ける。

欲しいものを買う。捨てたいものを捨てる。

聞きたい音楽を聴く。行きたいところに行く。着たい服を着る。

自分の思うがままに行動する。とても大事なこと。

「ご飯は食べなくちゃいけないし…」「物を捨てるのは勿体ないし…」「お金使っちゃだめだし…」「こんな服年齢に合わないし…」沢山あるだろう。

でもそんなん知るかで押し通す。

あたりまえなようで、難しいこと。

という訳で今日はイヤイヤ期が来てるので自分を甘やかそうと思います。

真面目で完璧主義はうつになる

よく見かけるこれよ。

真面目

完璧主義

正義感が強い

全当てはまり。

まあ双極性障害だけど。うつ病とはちょっと違うけど。

こんな、「いい人」のお手本のような性格がうつになりやすいなんて、どうやって生きてったらいいのん。

それを美徳としてならってきたのに。

鬱期はつらぁい。

甘えとかじゃない。

鬱でも頑張ってしまう。

そしてすり減っていく。

体が重い。気持ちが重い。横になっても休まらない。

もう何年も精神科に通ってんのによくならねえ。

生き方変えないと無理だよ…

でもどうしたらいいのかわからん…

まず休んでいいってのがわからん…

自分がしあわせになっていいのかもわからん…

どこか無意識の深いところで

❌❌でなきゃダメ

❌❌しなきゃダメ

みたいな縛りの声がきこえてくるねん…

己に縛られとんねん…

結局は抑うつも

ありのままの自分を受け入れられない自分が

怒って悲しんでいる

そんな気がする

小さな自分がずっと

泣いてる気がする

お金を稼ぎたい。障害年金は生活費と躁状態で消えていく。

私はお金を使うことに不安がある。

こどものころ、学校で「ユニセフ募金」があった。

善意の塊だった小学生の私は、小学生にとっては高い「1000円」を寄付した。

どきどきしながら親に話した。その途端、叱られたのである。

私はこの体験以来、自分で判断してお金を使うという行動に自信が持てないでいる。

生活に必要なものを買うことはできる。ただ、欲しいと思ったから買う、ということが不安だ。そして買ってしまったあと罪悪感を覚える。欲しいものを買ってもそれでは不幸である。

iPadminiが壊れてしまった。修理するとまるっと買うのと変わらない値段がかかるという。

そしたらば、新しい機種を…となるといいやつが欲しくなる。キーボードを含めて10万以上。欲しいが判断できない。いや、自信が無い。

金を稼げればいいのに。自分の金だったら好きなだけ使えるのに。

躁状態のときは、後先考えず80万使ってしまう私は、普段はびびりなのだ。

そう考えると躁状態の異常さがよくわかる。

私はまだ働くことができる状態ではない。

服薬をして生活していくのがやっとである。

金が欲しい。

私を活かして稼ぐ道はないか。

働きに「出る」ことが難しいので、家で、、そう、文章を書くような(・ω・)φ仕事はないだろうか。

私の文章に価値は生まれないだろうか。

まだまだ生き方模索中。

自己矛盾を受け入れる

私は、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような人だと比喩される。

実際に、自分の中で本音と建前の折り合いがつかずに、駆け出しては転び、駆け出しては転びを繰り返している。

真面目になって100まで頑張りもすれば、もう何も出来ず遊びたくなってはっちゃけてしまう。

青が好き。ピンクが好き。

かっこいいが好き。可愛いが好き。

貯金したい。散財したい。

いろんな自己矛盾を抱えて、誰しもが生きているのだろうけれど、その差が激しい。まるで、ジェットコースターのように。

だけど、考えた。

そうだ、自己矛盾をしている自分も自分なんだ。

受け入れよう。

そう思ったら、心が少し軽くなった。

私は私なのかも。

そのままでいいのかも。

自己矛盾している、両極端な、アクセルブレーキ全開なのが私で、それでいいのかも。両方を許せばいいのかも。

我慢しなくていいよ、建前に従わなくていいいよ。

本音でいいよ。その代わり、真面目でありたいっていう気持ちも、本物だから、誤魔化さないでね。

やっと自分のばらんすが作れそうな気がする。

混合期

鬱なのに行動力がある。変だな。

ちょっと前の躁状態はそこそこ高かった。だからずーーーんと鬱が来たと思ってたのに。

希死念慮と衝動性の相性は良すぎる。危険。

逃げたい死にたい消えたい。

思わず家を飛び出した。踏切の前のベンチでぼーっとする。

でも私には理性がある。家族がいる。守る未来がある。

それさえも投げ出して逃げたい。疲れた。私は追い込まれている。自分に。自分自身が私の首を絞めている。

我慢せよ。抑えろ。やるべき事をやり、やりたいことはやめろ。

私が私に追い込まれている。だから逃げ出しても死ねない。

私はオランザピンとロラゼパムをのんだ。馬鹿なことする前に。でもせめてもの抵抗で、1錠のところ、2~4錠ずつ口に放り込んだ。

逃げられないなら、寝てしまおう。

家族に連絡する。

家族がむかえにきてくれる。迷惑をかけてしまった。でも死ななかったから許して。逃げ出してしまわなければ、私は私に殺されるところだったの。

好きなことをしていい。

我慢しなくていい。

それを忘れてしまうの。私は生きが出来なくなってしまうの。ずっと。私を無視する私のせいで。

混合期が来ている。

お金をいくら好き勝手使ったのか分からない。まだ足りないの。もっと買いたい。

達成感が得られるの。

自由に外出することや、好きに買えると言うことに達成感を感じるの。

許して。私は家事をきちんとしてる。

洗濯を1日3回している。トイレ掃除もしている。育児も、夏休みの宿題の面倒を見たり、病院に連れて行ったりしてる。こんなにやっている。

だから自由をちょうだい、私を許してください。私が私でいられることを許してください。

私は脳にバグがあるの。そのために双極性障害になっているらしいの。だからお薬を飲むの。苦しくて辛いけど生きたいの。私の希死念慮は、「生きたいなの」。

感情を客観視する

何が事象が起こったとき、何か言われたり起こった時、すぐ否定的な「感情」が芽生える。

なんでそんなこと言ったんだろう。

むかくつ。

はらたつ。

嫌な気持ち。

不安。

悲しい。

その感情の感じ方が大きすぎて翻弄されてしまう。

いつまでも感情に支配されてしまう。

感情を止めたり、無理に押さえつけたりすると、負債が溜まってあとで爆発してしまうので感じきった方がいい。

そんな時に役立つのが、客観視する方法。

ただひとつ、「わたしは」をつければいい。

わたしは悲しい。

わたしは怒っている。

わたしは不安な気持ちだ。

それだけで、あ、自分はそういう気持ちなんだ、って認識できる。

認識できるっていうことは、それを認めているってこと。

そんな風に思っちゃダメだとか、抑制しないで、あ、わたしは今悲しいんだ、怒っているんだって認識する。

そうすると気持ちが落ち着く。感情が暴れない。

認めてもらえたと安心する。

まずはそこから始めてみよう。

分離不安。

夫が出張に行くとき。

不安でしょうがない。行かないで。寂しい。どうしたらいいの。不安だよ。

気分の波が平坦な時は大丈夫だったのに、鬱期に入って不安が増してしまう。

家の中でも姿が見えないと不安になって探し回る。

相手にとっては「トイレに行くだけだよ」それでも。

昔から不安症状は強かった。生活に支障があるくらい。

抗不安薬を飲んでしのぐ。

頓服で飲んでいたロラゼパムを一日3回+頓服分で処方してもらった。

自分に自信がない、愛情の確認がしたい、安心したい。みんな繋がってること。

安心したい。

気分はどん底。無理に這い上がろうとしなくてもいいのかも。

鬱期は何もやる気力が出ない。休もうとしているからだ。

でも頭の中は焦って自責の念で休めていない。

今まで面白かったドラマも本も音楽も、全部灰色の石になってしまった。

息は吸いづらい。

気分はどん底。

なんとか這い上がろうと外に出てみたり、気分を上げようとネットショッピングをしてみても、何一つ効果がない。

眠れもしないのに寝たい。

這い上がろう、立ち直ろうと努力するのにも疲れちゃった。

ただただ何の負担もなく休みたい。

それが鬱期。

這い上がろうと立ち直ろうとすると辛いかも。

無気力でいい。

鬱期が終わるまでは5〜20%の力でのろのろ進むしかない。

希死念慮と衝動

わたしの症状のひとつに希死念慮がある。

死にたいと思う気持ちである。

はっきり原因はない。

つらいから死にたい。

消えたいとも近い。

もう全部やめたい、楽になりたいも同じ。

自殺についてぼんやり、飛び出せば、とか飛び込めば、とか薬をたくさん飲めば、とか、本当にぼんやり考えたりする。

実際に計画するのは自殺企図といって、希死念慮とはちょっと違う。

希死念慮は”症状”だ。

うつ病や双極性障害にはついてまわる”症状”だ。

風邪ひいて咳が出るようなもんかもしれない。

「なんで死にたいの」「死んじゃダメだよ」「死んでどうするの」そんな声がけは見当違いだ。やめてほしい。しんどいだけだ。

風邪だから咳が出るだけで咳しちゃダメとかなんでせきするんだよとか言われても困る。うるさい。

受け止めてほしい

「死にたいぐらい辛いんだね」「いま希死念慮なんだね」それだけでいい。

出来れば温かい紅茶とか、毛布とか、涙を拭くためのティッシュとか、優しさをもらえたら。

恋人や友達が希死念慮を止めることはできない。自分でもコントロールできない。思い直す、とかではない。

頓服飲んで寝た方がいい。

眠れないなら横になってそばにいてもらえれば。

ポツポツこぼれるようや言葉をただ聞いてもらえれば。

衝動的なときはあぶない

ぼんやり死にたいだけの希死念慮はなにも起こらないことのほうが多いけど、追い詰められて興奮してる時は危ない。

「逃げなきゃ!今しかない!」「もうダメだ!限界だ!」

衝動性もわたしの”症状”だ。

そういうときは鎮静作用のある頓服をすぐ飲んだ方がいい。副作用で傾眠するぐらいがいい。

私は家を飛び出して川まで行ったことも、

家を飛び出しで踏切まで行ったこともある。

おもむろに酒を買い、駅のホームで電車を見ていたこともある。

衝動があるときは本当は望んでない死が近づくことがある。

助けてほしい!と心の中で叫びながら自滅の道を選ぼうとする。

これは全部私の場合です。薬でのコントロールは本当に大事だけど、たくさん薬を飲んでるせいで希死念慮が出てくることもある。医師と相談しなければならない。

SOSを出すのは難しい

鬱期はとてもとても辛いです。こんなに希死念慮をかかえながら毎日過ごすなんて。

助けてくださいは、近い人にこそ言いづらいものです。

程度も伝わりにくいです。

本当のSOSなのか、

いつもの「つらい」なのか。

明るく「そろそろほんとにやばい」っていう場合もあります。そもそもSOSを出すのが下手です。我慢します。強がります。

どうか助けてください。小さな悲鳴を聞き逃さないでください。

限界をとっくに超えてる時もあります。

私はパンクしていてもぶつかって事故って止まるまで走り続けるタイプです。

鬱期はつらい。それなのに頑張ってしまう。

疲れました。