分離不安。

夫が出張に行くとき。

不安でしょうがない。行かないで。寂しい。どうしたらいいの。不安だよ。

気分の波が平坦な時は大丈夫だったのに、鬱期に入って不安が増してしまう。

家の中でも姿が見えないと不安になって探し回る。

相手にとっては「トイレに行くだけだよ」それでも。

昔から不安症状は強かった。生活に支障があるくらい。

抗不安薬を飲んでしのぐ。

頓服で飲んでいたロラゼパムを一日3回+頓服分で処方してもらった。

自分に自信がない、愛情の確認がしたい、安心したい。みんな繋がってること。

安心したい。

気分はどん底。無理に這い上がろうとしなくてもいいのかも。

鬱期は何もやる気力が出ない。休もうとしているからだ。

でも頭の中は焦って自責の念で休めていない。

今まで面白かったドラマも本も音楽も、全部灰色の石になってしまった。

息は吸いづらい。

気分はどん底。

なんとか這い上がろうと外に出てみたり、気分を上げようとネットショッピングをしてみても、何一つ効果がない。

眠れもしないのに寝たい。

這い上がろう、立ち直ろうと努力するのにも疲れちゃった。

ただただ何の負担もなく休みたい。

それが鬱期。

這い上がろうと立ち直ろうとすると辛いかも。

無気力でいい。

鬱期が終わるまでは5〜20%の力でのろのろ進むしかない。

希死念慮と衝動

わたしの症状のひとつに希死念慮がある。

死にたいと思う気持ちである。

はっきり原因はない。

つらいから死にたい。

消えたいとも近い。

もう全部やめたい、楽になりたいも同じ。

自殺についてぼんやり、飛び出せば、とか飛び込めば、とか薬をたくさん飲めば、とか、本当にぼんやり考えたりする。

実際に計画するのは自殺企図といって、希死念慮とはちょっと違う。

希死念慮は”症状”だ。

うつ病や双極性障害にはついてまわる”症状”だ。

風邪ひいて咳が出るようなもんかもしれない。

「なんで死にたいの」「死んじゃダメだよ」「死んでどうするの」そんな声がけは見当違いだ。やめてほしい。しんどいだけだ。

風邪だから咳が出るだけで咳しちゃダメとかなんでせきするんだよとか言われても困る。うるさい。

受け止めてほしい

「死にたいぐらい辛いんだね」「いま希死念慮なんだね」それだけでいい。

出来れば温かい紅茶とか、毛布とか、涙を拭くためのティッシュとか、優しさをもらえたら。

恋人や友達が希死念慮を止めることはできない。自分でもコントロールできない。思い直す、とかではない。

頓服飲んで寝た方がいい。

眠れないなら横になってそばにいてもらえれば。

ポツポツこぼれるようや言葉をただ聞いてもらえれば。

衝動的なときはあぶない

ぼんやり死にたいだけの希死念慮はなにも起こらないことのほうが多いけど、追い詰められて興奮してる時は危ない。

「逃げなきゃ!今しかない!」「もうダメだ!限界だ!」

衝動性もわたしの”症状”だ。

そういうときは鎮静作用のある頓服をすぐ飲んだ方がいい。副作用で傾眠するぐらいがいい。

私は家を飛び出して川まで行ったことも、

家を飛び出しで踏切まで行ったこともある。

おもむろに酒を買い、駅のホームで電車を見ていたこともある。

衝動があるときは本当は望んでない死が近づくことがある。

助けてほしい!と心の中で叫びながら自滅の道を選ぼうとする。

これは全部私の場合です。薬でのコントロールは本当に大事だけど、たくさん薬を飲んでるせいで希死念慮が出てくることもある。医師と相談しなければならない。

SOSを出すのは難しい

鬱期はとてもとても辛いです。こんなに希死念慮をかかえながら毎日過ごすなんて。

助けてくださいは、近い人にこそ言いづらいものです。

程度も伝わりにくいです。

本当のSOSなのか、

いつもの「つらい」なのか。

明るく「そろそろほんとにやばい」っていう場合もあります。そもそもSOSを出すのが下手です。我慢します。強がります。

どうか助けてください。小さな悲鳴を聞き逃さないでください。

限界をとっくに超えてる時もあります。

私はパンクしていてもぶつかって事故って止まるまで走り続けるタイプです。

鬱期はつらい。それなのに頑張ってしまう。

疲れました。

休むってなに。

真面目で頑張り屋で考えが極端で偏ってる。自分はそうだと思う。

休むのが苦手だ。

休むってなに。

気づくと溺れてる。

溺れてる人に「力を抜いて、そうすれば体が浮くから。楽になるよ。」と言ったところで。

溺れて水を飲み込んで体が沈んでもがいてるんだから、体の力抜けるわけない。体の力抜いたら死ぬかもしれない。

そんな状態が続いてるわけで。

休むってなに。

大体休むと出てくる罪悪感はなんなのか。

「みんなは頑張ってるのに」「私は何も出来ないのか」「こんなぐうたらしてていいのか」「休んでる自分なんてダメ人間じゃないのか」

ほら、考えが極端で偏ってる。強迫観念みたい。休むな、頑張れ、動き続けろ。

壊れたのに壊れたまま頑張ってる。ボロボロのまま走ってる。

尖った針の上を歩いてるような危うさ。痛み。

これが鬱期。私の鬱期。

休むってなに。

無理しないで休んでねってなに。

家にいて何もしなくていいよ、でも休めないんだよ。焦ってる。責めてる。何したらいいのかわからないし、何がしたいのかもわからない。

楽しいことなんだっけ。動画も映画も本も好きだったものもどうでもいい。集中力もない。

休みかた誰か教えてください

症状のせい。鬱期が来る病気。希死念慮も死にたいわけじゃなくて、そうなっちゃう症状。

どう過ごせばいいんでしょう。

とにかく負担は減らしてもらう。なるべく。でも何もしないと自責の念に襲われるのでなにか小さな一つだけやる。生活のレベルは下げる。冷凍食品でもいい。風呂は入れなくてもいい。体洗えなくてシャワーかけるだけでもいい。

あとはとにかく寝る。眠れないけど眠くなったときに今だ!って寝る。

何もないけど何もないけどとりあえずなんか、とりあえずなんかないかな。

ぐるぐる考えをノートに書き出す。

休むってなに。

やめていたロラゼパムをのむ。

ロラゼパム

イライラがひどい。不安が強い。焦燥感におそわれる。電車に乗る時にバクバクする。

そういうときのためにロラゼパムを処方されている。

毎朝飲む生活から、落ち着いて、お守りがわりの頓服として10錠持っているだけだったのに。最近はまた飲まないと生活がまわせなくなってきた。

混合状態が続いている。

また毎朝分の処方をしてもらった。

思い出せば去年の冬もうつ状態だった。

季節性なのか。

季節の変わり目は確かに頭痛がしたり自律神経が乱れたりしやすい。お腹もゆるくなる。

薬を飲んでいてもいい。生活ができればいい。

手帳を申請しようと思っている。必要なものは電話で保健所に問い合わせた。あとは揃えるだけだ。

助けがなければ生活ができない。

実母に家事育児を分担してもらい、夫にも休みの日は家事育児を代わってもらう。幼稚園の預かり保育にも利用する。負担がかかりすぎると、「自分が頑張らなきゃ」「自分が頑張ればいいんだ」と強迫されて休むことを忘れてしまう。

休みながら、できる範囲で生活を回す。買い出しに行けない、料理も出来ないときは生協に頼る。冷凍食品でもサラダは作る。

おにぎりパーティーにしたり子供たちが好きなおかずを弁当箱に詰めて食べる弁当パーティーにしたり、ビンゴゲームをしたり、工夫をして関わる。

どんなに辛くても生活はまわっていく。それが辛い時もある。

明日が来るのが辛い。眠りたくない。起きたくない。そんな日も多い。起きたら悲しい気持ちでがっかりする時も多い。

薬に頼っても人に頼ってもとにかく生きてく。希死念慮はあるけど。

いつか死ぬ。今はまだ死なない。それだけ。

燃え尽き症候群から始まった

燃え尽き症候群になったのは小学6年生の時だった。

塾、ピアノ、英語教室。週5習い事だった。

いわゆる優等生。

辛かったのは家族の不仲だった。

中学生になった姉が環境の変化に馴染めず、父親と喧嘩するようになり、両親も不仲に。姉と喧嘩、親からの期待、不安定な家庭。父は父で病んでいたし、母は稼ぐために働いていた。よくある機能不全家族なんだと思う。

体育授業で、味方が投げたボールを顔面に受け、「もう嫌だ。疲れた。」と思った。

体育館の外に転がっていったボールを探しに行くふりをして泣いた。涙を拭いてから「ごめんごめん、ボールあった」と戻った。

気持ちはボロクソだった。

中学に上がると不登校になった。もう頑張れない。

それでも真面目だったからスクールカウンセラーさんの教室に行った。

テストは受けた。

中3からメンタルクリニックに通い始める。親に黙って友達と行った。

混合性不安抑うつ障害。気分変調症。うつ病。統合失調症。名前はいろいろついたけどどうでもいい。

通信制の高校に通ってからも不調は続いた。

高校2年生、ついに閉鎖病棟へ入院。

家にいたくない。頑張りたくない。希死念慮、焦燥感、強迫観念、希死念慮。

電気ショック療法?をしたけれど治ったわけでもなく病院にいても辛いままだったので退院。

高校は一年遅れで卒業した。

理解してくれる人と結婚して数年かけて薬をやめた。調子は良くなった。子供を授かり、出産。産後うつ。一年間危なかったが、卒乳と共に持ち直す。

生理のたびに希死念慮に襲われて、PMDDを疑い産婦人科へ。症状が重いので精神科へと言われる。

双極性障害2型と診断。

気分が良くなって80万使い込む。かと思えば鬱になり希死念慮と焦燥感に襲われて寝たきりになったり家を飛び出して彷徨ったり。

それも薬である程度落ち着いてきた。

この先はどうしていけばいいんだろう。

どうなりたいか?

薬を飲んでいてもいい。生活が出来ればいい。でも不安定になると辛い。鬱も躁も辛い。周りにも迷惑をかけている。

自分らしさって何だろう?躁鬱も自分らしさ?それとも病気なだけ?

せめてコントロールができればいいのに。

我慢ばかりしていたら、自分の気持ちが行方不明

やりたくないけど、やらなきゃいけない。みんなが困るから。

やらなきゃ。やりたくないけど。

そんな理由ばかりでやることをやってきた。

反論したいけど、言っても怒らせるかもしれないし、関係がこじれるのも嫌だな。雰囲気も悪くなっちゃうかもしれない。

ストレートに言いたいけど、自分の気持ちよりも、相手が快く受け取れるように、言い方を変えよう。

そんなふうに自分の気持ちを押し込めてきた。

軋む心。歪む感情。抑制された本音。

その結果、自分の気持ちが行方不明になってしまった。

やりたいことも分からない。

0か100かしかないくせに、アクセルとブレーキの同時踏みみたいな心理状態が続いて、いうことを聞かないラジコンカーみたい。

理由もないのにすごく苛立つ。ひどい暴言が喉元まで出かかってる。暴れ回りたい。

抑制し続けた気持ちの負債が、そのツケを払おうと暴走してる。

薬で抑えられても、根本的な解決じゃない。

もっと自分に優しく生きてくればよかった。

精神疾患になる人は真面目で頑張り屋が多いのだと思う。

優しい人が多いのだと思う。

気持ちに矛盾を抱えて周りのために生きていくのは疲れた。

どうしたらいいのか分からないのが現状。

死にたいという気持ちの分解

私は辛いことがあると「死にたい」という気持ちになる。本当の死を望んでいるわけじゃない。

生きている限り頑張ってしまう。

もう辛くてやめたいのに、「やめる」ができない。

「やすむ」こともできない。

駆り立てられるように、やらなきゃ、やらなきゃってなっちゃう。

それは些細なことでも積み重なっていく。

トイレットペーパー、補充しなきゃ。私が補充しなきゃ誰もやってくれない。困る人がでてくる。

洗濯回さなくちゃ。みんなが学校幼稚園会社で何も困らないように。

ハンドソープ足さなきゃ。手を洗えるように。

自分が疲れてる、休みたい、なんて出来ない。子供たちが帰るまでに済ませないとやる時間がない。

自分を駆り立てて、うつ症状の重い体を引きずって、やめられずに布団のシーツを洗い、服の衣替えをし、予定を確認する。

いつ休めば?

休むためには大怪我するか病気になるしかない。

死ねばやめられる。

こんな考え方間違ってるのはわかってる。でも止められないんだ。誰か止めて欲しい。止めて欲しい。その気持ちが「死にたい」。私の場合は。

休んでいいんだよ、休んでねなんて声がけは力にならない。

徹底して私が休める環境を用意して欲しい。

夕飯も用意して欲しい。洗濯物も取り込んで欲しい。子供のお迎えも行って欲しい。私がひたすら布団で休めるように環境を整えて欲しい。心配事がなくなって、代わりにやってくれる人がいて、そこで初めて安心して休める。

「死にたい」ぐらいのうつ症状が出ている時は体がとにかく重い。心も重い。まるで胸がつっかえているように感じる。

何も考えられないし決められない。

そういうときは、とにかく鬼束ちひろの月光を聞いている。明るい曲を聴くより、暗いメロディーが悲しい歌詞が癒してくれる。

ご飯は食欲がなくなってしまうので、お湯を注ぐだけとか、食べるだけのものを用意しておく。手の込んだものは無理だ。

布団で横になっていてもぐずぐず考えて辛い時はあえてベランダで外を見る。

家族には状況が悪いので休みたいと公言しておく。

頓服はもったいぶらずに使う。

うつ症状は頑張っても治らないので、むしろ休むことが大事になる。自分が楽しいと思うことがなくなっている状態なので、いつも笑って見てたYouTubeをみることすらしんどい。

奮闘してはいけない。落ち込みと戦っては意味ない。計画を立てても目標を決めても首を絞めるだけ。

何もしない。何もしないことへの焦りもある。

死にたいからどうやって死のうまで考え始めたら危ない。医者に行ったほうがいい。強めの頓服を使ってでも衝動性は抑えた方が良い。本人のためにも家族のためにも。

うつ期はつらい。どうしたらいいのかもわからない。脳みそのせいでそうなってるんだから自分の気合いでコントロールできる物でもない。

辛いなりに毎日生きなきゃならない。

精神科の閉鎖病棟の思い出

十数年前、精神科の閉鎖病棟に入院していました。夏でした。

希死念慮が強くて、自傷を繰り返し、家出をしたり過剰服薬したり暴れたりして、「家にいるのはいやだ!」と自ら入院を希望した気がします。当時家は事情があり荒れていました。

閉鎖病棟は厳重に扉に鍵がかけられていました。

4人部屋だった気がします。

週に一度だったか、2週間に一度だったか、鍵のかかった閉鎖病棟の扉を出られて、売店へ行けた気がします。いつもしみチョコとコーヒー牛乳を買いました。おじさんたちはタバコを買っていました。

談話室はタバコ臭かった気がします。

廊下の階段のところで、死んでやろうと飛び降りようとしたら捕まってしまった気がします。

手足をベッドに拘束されました。

それでも暴れようとした気がします。

あまり覚えていないのは、入院中に受けた電気ショック療法のせいです。記憶が飛びます。

あと、飲む薬の種類が多かったので、いつもグレーのベールがかかったような、ぼうっとしていたので記憶は曖昧です。

食事はみんなでホールで食べた気がします。そのあと看護師の前で薬を渡され飲みました。

私物はほとんど所持してなかったと思います。

当時の私の診断名は統合失調症でした。

今は双極性障害という診断ですが、今より相当重い症状がたくさんあったし、薬もたくさん飲んでいました。

本気で毎日死のうとしていました。

よくそこから立ち直ったと思います。

発症から寛解するまで7年かかりました。もっと長く苦しむ人も多いと思います。

最近また頭の中がわーわーするようになってきました。

閉鎖病棟を思い出したので書き留めておきました。

【双極性障害】躁鬱点数シートをつくってみた

うつが3週間続いた。

希死念慮(きしねんりょ)で死にたいという気持ちが強くて、オランザピンを頓服で飲んでは、副作用で半日を寝て過ごした。

オランザピンを飲むと、頭がぼうっとして眠くなる。

寝てしまえば、起きた時には希死念慮はおさまっていて、調子がよくなる。

朝おきたときから死にたくて、泣いたりして、朝ごはんもろくに食べられず頓服を飲んで15時くらいまで寝て過ごす。そんな毎日だった。

医者に「なんらかの記録をつけると良い」と言われて、ためしに点数シートをつくってみた。

躁鬱点数シートをつくる

日付、躁の点数、鬱の点数、オランザピン(頓服)をのんだかどうか、の欄をつくる。

点数は10点満点で、5点を超えると感覚的にアウト。自分でどうにもならない。10点に近づくほど危険になる。

私は手書きにしたが、エクセルなどで作れば、グラフ化もできると思う。

医者にもどんな変化をしているか、言葉で説明するよりもわかりやすいかもしれない。

とりあえずしばらく続けてみようと思う。