精神科の閉鎖病棟の思い出

十数年前、精神科の閉鎖病棟に入院していました。夏でした。

希死念慮が強くて、自傷を繰り返し、家出をしたり過剰服薬したり暴れたりして、「家にいるのはいやだ!」と自ら入院を希望した気がします。当時家は事情があり荒れていました。

閉鎖病棟は厳重に扉に鍵がかけられていました。

4人部屋だった気がします。

週に一度だったか、2週間に一度だったか、鍵のかかった閉鎖病棟の扉を出られて、売店へ行けた気がします。いつもしみチョコとコーヒー牛乳を買いました。おじさんたちはタバコを買っていました。

談話室はタバコ臭かった気がします。

廊下の階段のところで、死んでやろうと飛び降りようとしたら捕まってしまった気がします。

手足をベッドに拘束されました。

それでも暴れようとした気がします。

あまり覚えていないのは、入院中に受けた電気ショック療法のせいです。記憶が飛びます。

あと、飲む薬の種類が多かったので、いつもグレーのベールがかかったような、ぼうっとしていたので記憶は曖昧です。

食事はみんなでホールで食べた気がします。そのあと看護師の前で薬を渡され飲みました。

私物はほとんど所持してなかったと思います。

当時の私の診断名は統合失調症でした。

今は双極性障害という診断ですが、今より相当重い症状がたくさんあったし、薬もたくさん飲んでいました。

本気で毎日死のうとしていました。

よくそこから立ち直ったと思います。

発症から寛解するまで7年かかりました。もっと長く苦しむ人も多いと思います。

最近また頭の中がわーわーするようになってきました。

閉鎖病棟を思い出したので書き留めておきました。

【双極性障害】躁鬱点数シートをつくってみた

うつが3週間続いた。

希死念慮(きしねんりょ)で死にたいという気持ちが強くて、オランザピンを頓服で飲んでは、副作用で半日を寝て過ごした。

オランザピンを飲むと、頭がぼうっとして眠くなる。

寝てしまえば、起きた時には希死念慮はおさまっていて、調子がよくなる。

朝おきたときから死にたくて、泣いたりして、朝ごはんもろくに食べられず頓服を飲んで15時くらいまで寝て過ごす。そんな毎日だった。

医者に「なんらかの記録をつけると良い」と言われて、ためしに点数シートをつくってみた。

躁鬱点数シートをつくる

日付、躁の点数、鬱の点数、オランザピン(頓服)をのんだかどうか、の欄をつくる。

点数は10点満点で、5点を超えると感覚的にアウト。自分でどうにもならない。10点に近づくほど危険になる。

私は手書きにしたが、エクセルなどで作れば、グラフ化もできると思う。

医者にもどんな変化をしているか、言葉で説明するよりもわかりやすいかもしれない。

とりあえずしばらく続けてみようと思う。

【双極性障害】早朝散歩を始めた話

うつには朝日が良い、散歩が良いと言うが、そんなことができるならそれは「調子が良い」のだ。

うつ状態になると、体が重くなり、起き上がれやしない。ましてや外に行って歩くなんてつらすぎる。朝日さえもつらい。眩しい光は天敵だ。

そう思っていたし、実際そうだった。

着の身着のままでいいよ

じゃあどうやって朝散歩を始めたのか。

夫に連れ出されたのである。

「着の身着のままで良いよ」

寝起きそうそう「散歩に行こう」と誘われ、寝癖でボサボサ、顔も洗わず、部屋着のまま、コートを羽織りマフラーを巻いてマスクをして、連れ出された。

歩くのはしんどかった。

家の周りをくるりと2〜3分。

それだけだった。

もう少し歩くのかと思った。

空は青い

次の日も次の日も、寝起きの私に夫は「行こう」と声をかけ防寒して連れ出した。

昨日と逆回り。少し遠回り。

寝起きに希死念慮があった日は、散歩しながら嗚咽をあげて泣いた。泣きながら歩く。すれ違う車の前に踊り出たいと思いながら泣く。

散歩の効果かはわからないが、午後には気分がマシになる日が出てきた。頓服を飲んでるせいかもしれないし、散歩の効果かもしれない。

「今日は行きたくない」

「じゃあ俺1人で行くよ」

「行かないでそばにいて」

「じゃあ一緒に行こう」

そうしてまた連れ出される。

良かったのは、外に出るハードルが低かったことだと思う。

着替えて、メイクして、とかなら無理だった。

冬なのでコートが全てを隠してくれるので、良かった。着の身着のままで行こう。

寝癖がひどいなら帽子を被ろう。

最初は這っていくようだったけど、体が慣れたのか歩くのも楽になってきた。

自分じゃ始められなかったかもしれない。

無理強いは禁物

個人差があるので無理に外に連れ出すのが良いという話ではない。無理やり連れ出されるのがうつを悪化させる場合もある。調子を見ながら見極める必要がある。ご注意を。

【双極性障害】躁の時に買ったもの

双極性障害の躁の時には、気が大きくなって買い物しがちです。

私も過去に80万ほど使いました。

2ヶ月で80万です。

初めて”躁”になった時でした。

通販で洋服を20〜30着買いました。1着あたり2,000〜5,000円でした。靴や鞄も買いました。

たくさんの服

あとは、毎日Amazonで1,000〜3,000円使いました。本当に毎日ポチりました。絵の具、ペン、ノート、欲しいと思ったものはなんでも買いました。

合わせて40万の支払いが2ヶ月続きました。

普段からそんな金遣いが荒かったわけではありません。むしろ自分のためにお金を使うことを渋る人間です。

家族には怒られました。子供のために使えるお金を、自分のために使い、無駄にしたのだと。

でも、そういう症状の病気なんです。

いまでは薬で激躁にはなりませんが、軽躁のときには財布の紐が緩みます。とにかく気分がいいのです。

躁はおそろしいです。

【双極性障害】専業主婦の双極ママの1日は何しているのか

双極性障害の育児ってどんなかんじ?何してるの?と思う方がいればの話ですが、書いてみることにしました。

あくまで個人の一例です。

ちなみに小学生と幼稚園生と未就園児がいます。

1日の流れ

朝7時半 起床(パパが6時半起きで朝食作り済み。いつもありがとう!)

朝8時 小学生見送り

園児と未就園児起こして一緒に朝食

パパが園児連れて登園、出勤

食洗機を回し、洗濯回して布団で休む

午前は布団で横になってすごす

未就園児のおむつを変えて遊び相手をする

12時 お昼を食べる(簡単なもの)

14時半〜15時半 小学生帰宅

16時 園児お迎え

17時 夕飯の支度

18時 夕飯

20時 子らとお風呂(いちばん疲れる)

21時半 寝かしつけ

0時 就寝

家族の協力が大事

双極性障害になるまでは、朝食もつくり、朝の園児送りもやっていました。日中は未就園児連れて公園や買い出しに出ていました。

いまはそれができません。

外に出るだけで疲れ、特に子供を連れて外に出ることに不安があります。

実母や義母に頼んでお迎えをしてもらったり、夕飯の手伝いに来てもらったりしています。

家族の力を借りないと、生活していけません。

子供たちのためにも、みんな協力してくれます。

罪悪感持たない方がいい

手伝ってもらうことになったとき、最初は罪悪感と自責の念で押しつぶされていました。

私が病気になったせいで、みんなが大変な思いをしている。私なんていなければ…と。

たくさん泣きました。

今はただ、感謝しています。

早く治そうとしないのが大事

早く治さなくちゃ、と焦ると、不安が募ったりイライラしたりします。焦りは毒です。

ただただ休むことが最優先。

良くなろうとしなくていい。

薬をきちんと飲んでたくさん休めば、少しずつ回復していきます。安定してきたら薬の調節をすれば良いんです。

何十万も使ったこともあります。家を飛び出して踏切まで行ったこともあります。

でも最近はそこまで大きな波は来なくなりました。

こんな母親で情けない。でも子供たちは大好きって言ってくれます。

目標は「薬を飲みながら、日常生活が送れること」

今は布団で横になってばかりで、部屋をうろうろしてばかりで、お風呂に入れない日もあれば歯磨きできない日もあります。

鬱のときは希死念慮で泣いてばかりです。

目標は「薬を飲みながら、日常生活が送れること」。

頑張らずに生きていきたいです。

【双極性障害】躁でイライラしたから散歩に行きました

双極性障害は、躁と鬱をくりかえす病気です。

私は軽躁の2型で、躁のときの症状は、

  • イライラしやすい
  • 爽快感がある
  • 社長や王様になった気分になる
  • 買い物をしすぎる
  • 思いつきで行動を起こす

などです。

今日もイライラしていたので、部屋をうろうろ歩き回っていました。見かねた家族に「散歩でも行ったら」と言われ、化粧せず上着とマスクをして、財布とスマホと鍵だけ持って家を出ました。

近所の公園にきた

あたたかーい飲み物を買い、近所の公園のベンチにきました。おじさんたちが同じようにコーヒーを持って座っていました。

空は青いし、すずめはチュンチュンだし、ぼーっとするには最高です。

普段は引きこもっているのでちょっと歩くだけでも疲れました。

頭の中は起業したい!1億円欲しい!スーツケース暮らししたい!収入が欲しい!

お腹が空いて家に帰りました。

【双極性障害】薬の管理方法

私はメンタルクリニックで処方される薬と、胃腸科で処方される薬を飲んでいます。

薬の数が増えると、飲んだのか?飲んでないのか?わからなくなってしまったり、飲み忘れてしまったりしますよね。

私の薬の管理方法をご紹介します。

  1. ポーチに全部ぶっこむ
  2. シートの裏に日付を書く
  3. 誰かに管理してもらう

私の飲んでいる薬。半分は胃腸科、半分はメンタルクリニック。

1.ポーチに全部ぶっこむ

薬局で薬をもらうと紙の袋に分けていれてくれますが、そのままだと出し入れがめんどうくさいので、全部ポーチにぶっこみました。

1箇所にまとめておかないと紛失してしまうからです。

可愛いポーチにいれて、薬飲むのが楽しみになるようにしています。

お菓子が入っていた可愛い缶などもいいですね。

手作りのポーチ

薬をもらってきたらポーチにいれ、飲み忘れであまっていたものはジプロックに移して保管しておきます。飲み忘れがある程度たまったら、先生に言って処方の日数を調節してもらいます。

2.シートの裏に日付を書く

薬のシートの裏に日付を書いておくと、飲み忘れ防止になります。あさ、ひる、よる、などもOKです。自分のわかりやすいようなマークでもいいと思います。

飲み忘れ防止の日付

3.誰かに管理をしてもらう

強すぎる頓服や、OD(オーバードーズ、過剰服薬)する可能性がある場合などは、家族などに管理してもらうことをおすすめします。

必要な回数分だけもらっておき、残りは隠しておいてもらいます。

私も過去に14錠ODしてしまってからしばらくは家族に薬をあずけていました。

ODは救急車を呼ばなければならなかったり、命の危険がある場合もあるので、危険です。衝動性がある場合は預けておきましょう。そのほうが安全です。


以上、薬の管理方法でした。

お薬調節中。

*朝のお薬
ロラゼパム、ラツーダ、抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)
胃酸を抑える薬、イリボー、ミヤBM錠

*お昼のお薬
抑肝散加陳皮半夏

*夜のお薬
バルプロ酸ナトリウム、抑肝散加陳皮半夏

*最近の症状
イライラする、ソワソワする、不安になる、夜は眠れている、調子はいいが波がありやや不安定、軽鬱が多い

イライラしていた理由がわかった。
自分にイライラしていた。
いやなのに頑張る自分にイライラしていた。
自分に優しくしてくれない自分にイライラしていた。
いやなことをいやだって言ってくれない。
がんばるのをやめてくれない。
それは自傷行為と同じだ。
これからは、自分に優しくしよう。
いやなことは頑張らない。
自分の気持ちをきいてあげよう。
そしたらきっと、もう一歩進める。

ラツーダ減薬。

ラツーダを40→20に減薬しました。

このまま順調に減らしていければ

寛解も夢じゃないのかな。

いまは軽躁よりかな?ってくらいの気分。

鬱期ではない。

躁鬱は鬱が長いんだよね。

躁は短いのに。

躁の時は散財しそうになったり

ハピハピな気分になって出かけたり行動的になったりして

自分でも人が変わったようだと思う。

いまはそこまでひどくないけど、

薬で抑えてるだけなのか、

良くなってきてるのかは謎。

このまま治りたいな。

また鬱がきて死にたくなるのは辛いなぁ。