子どもの頃から思っていた。
『自分は偉人になるのだ』と。
今思えばなぜそんなこと思っていたのか分からない。
それでも書くことが好きでずっと抱いてきた信念がある。
『自分が生きていた証を残そう』
『自分の足あとを残そう』
.

偉人になれなくても、今はいい。
思ったこと感じたこと考えたこと、私という人間がここにいた·こと、私という人となりをここに残したいと思う。
子どもの頃から思っていた。
『自分は偉人になるのだ』と。
今思えばなぜそんなこと思っていたのか分からない。
それでも書くことが好きでずっと抱いてきた信念がある。
『自分が生きていた証を残そう』
『自分の足あとを残そう』
.
偉人になれなくても、今はいい。
思ったこと感じたこと考えたこと、私という人間がここにいた·こと、私という人となりをここに残したいと思う。
イライラしてる。ストレスが溜まってきた。買い物で発散したい。あれもこれも欲しい。
今はAmazonや楽天で簡単に買える。すぐに届く。現金を支払うのと違って、数字の羅列を見るだけ。買うと気持ちいい。取得って達成感。
躁で昂ってると買い物が進む。
家の自分のテリトリーには物が溢れている。探し物をする時に散らかってて見つからなくて苛立つ。
荷物を全部捨てたい。必要なものだけでいい。そう思うのに、買い物をやめられない。満たされない。もっと欲しい。
結果溢れる。電卓を四つ持ってる。文具が好きだから、ペンは50本くらい持ってる。ノートもまとめ買いしてたくさんある。洋服はしまう場所がないくらいある。
なんでこんなことになった。スーツケースで必要な荷物だけで暮らすのが理想なのに。
いくら使ったんだろう。その分貯めればいくらになっただろう。支払ったお金は戻ってこない。
どうしたらやめられる。
十数年前、精神科の閉鎖病棟に入院していました。夏でした。
希死念慮が強くて、自傷を繰り返し、家出をしたり過剰服薬したり暴れたりして、「家にいるのはいやだ!」と自ら入院を希望した気がします。当時家は事情があり荒れていました。
閉鎖病棟は厳重に扉に鍵がかけられていました。
4人部屋だった気がします。
週に一度だったか、2週間に一度だったか、鍵のかかった閉鎖病棟の扉を出られて、売店へ行けた気がします。いつもしみチョコとコーヒー牛乳を買いました。おじさんたちはタバコを買っていました。
談話室はタバコ臭かった気がします。
廊下の階段のところで、死んでやろうと飛び降りようとしたら捕まってしまった気がします。
手足をベッドに拘束されました。
それでも暴れようとした気がします。
あまり覚えていないのは、入院中に受けた電気ショック療法のせいです。記憶が飛びます。
あと、飲む薬の種類が多かったので、いつもグレーのベールがかかったような、ぼうっとしていたので記憶は曖昧です。
食事はみんなでホールで食べた気がします。そのあと看護師の前で薬を渡され飲みました。
私物はほとんど所持してなかったと思います。
当時の私の診断名は統合失調症でした。
今は双極性障害という診断ですが、今より相当重い症状がたくさんあったし、薬もたくさん飲んでいました。
本気で毎日死のうとしていました。
よくそこから立ち直ったと思います。
発症から寛解するまで7年かかりました。もっと長く苦しむ人も多いと思います。
最近また頭の中がわーわーするようになってきました。
閉鎖病棟を思い出したので書き留めておきました。
うつが3週間続いた。
希死念慮(きしねんりょ)で死にたいという気持ちが強くて、オランザピンを頓服で飲んでは、副作用で半日を寝て過ごした。
オランザピンを飲むと、頭がぼうっとして眠くなる。
寝てしまえば、起きた時には希死念慮はおさまっていて、調子がよくなる。
朝おきたときから死にたくて、泣いたりして、朝ごはんもろくに食べられず頓服を飲んで15時くらいまで寝て過ごす。そんな毎日だった。
医者に「なんらかの記録をつけると良い」と言われて、ためしに点数シートをつくってみた。
日付、躁の点数、鬱の点数、オランザピン(頓服)をのんだかどうか、の欄をつくる。
点数は10点満点で、5点を超えると感覚的にアウト。自分でどうにもならない。10点に近づくほど危険になる。
私は手書きにしたが、エクセルなどで作れば、グラフ化もできると思う。
医者にもどんな変化をしているか、言葉で説明するよりもわかりやすいかもしれない。
とりあえずしばらく続けてみようと思う。
うつには朝日が良い、散歩が良いと言うが、そんなことができるならそれは「調子が良い」のだ。
うつ状態になると、体が重くなり、起き上がれやしない。ましてや外に行って歩くなんてつらすぎる。朝日さえもつらい。眩しい光は天敵だ。
そう思っていたし、実際そうだった。
じゃあどうやって朝散歩を始めたのか。
夫に連れ出されたのである。
「着の身着のままで良いよ」
寝起きそうそう「散歩に行こう」と誘われ、寝癖でボサボサ、顔も洗わず、部屋着のまま、コートを羽織りマフラーを巻いてマスクをして、連れ出された。
歩くのはしんどかった。
家の周りをくるりと2〜3分。
それだけだった。
もう少し歩くのかと思った。
次の日も次の日も、寝起きの私に夫は「行こう」と声をかけ防寒して連れ出した。
昨日と逆回り。少し遠回り。
寝起きに希死念慮があった日は、散歩しながら嗚咽をあげて泣いた。泣きながら歩く。すれ違う車の前に踊り出たいと思いながら泣く。
散歩の効果かはわからないが、午後には気分がマシになる日が出てきた。頓服を飲んでるせいかもしれないし、散歩の効果かもしれない。
「今日は行きたくない」
「じゃあ俺1人で行くよ」
「行かないでそばにいて」
「じゃあ一緒に行こう」
そうしてまた連れ出される。
良かったのは、外に出るハードルが低かったことだと思う。
着替えて、メイクして、とかなら無理だった。
冬なのでコートが全てを隠してくれるので、良かった。着の身着のままで行こう。
寝癖がひどいなら帽子を被ろう。
最初は這っていくようだったけど、体が慣れたのか歩くのも楽になってきた。
自分じゃ始められなかったかもしれない。
個人差があるので無理に外に連れ出すのが良いという話ではない。無理やり連れ出されるのがうつを悪化させる場合もある。調子を見ながら見極める必要がある。ご注意を。
双極性障害の躁の時には、気が大きくなって買い物しがちです。
私も過去に80万ほど使いました。
2ヶ月で80万です。
初めて”躁”になった時でした。
通販で洋服を20〜30着買いました。1着あたり2,000〜5,000円でした。靴や鞄も買いました。
あとは、毎日Amazonで1,000〜3,000円使いました。本当に毎日ポチりました。絵の具、ペン、ノート、欲しいと思ったものはなんでも買いました。
合わせて40万の支払いが2ヶ月続きました。
普段からそんな金遣いが荒かったわけではありません。むしろ自分のためにお金を使うことを渋る人間です。
家族には怒られました。子供のために使えるお金を、自分のために使い、無駄にしたのだと。
でも、そういう症状の病気なんです。
いまでは薬で激躁にはなりませんが、軽躁のときには財布の紐が緩みます。とにかく気分がいいのです。
躁はおそろしいです。
双極性障害の育児ってどんなかんじ?何してるの?と思う方がいればの話ですが、書いてみることにしました。
あくまで個人の一例です。
ちなみに小学生と幼稚園生と未就園児がいます。
朝7時半 起床(パパが6時半起きで朝食作り済み。いつもありがとう!)
朝8時 小学生見送り
園児と未就園児起こして一緒に朝食
パパが園児連れて登園、出勤
食洗機を回し、洗濯回して布団で休む
午前は布団で横になってすごす
未就園児のおむつを変えて遊び相手をする
12時 お昼を食べる(簡単なもの)
14時半〜15時半 小学生帰宅
16時 園児お迎え
17時 夕飯の支度
18時 夕飯
20時 子らとお風呂(いちばん疲れる)
21時半 寝かしつけ
0時 就寝
双極性障害になるまでは、朝食もつくり、朝の園児送りもやっていました。日中は未就園児連れて公園や買い出しに出ていました。
いまはそれができません。
外に出るだけで疲れ、特に子供を連れて外に出ることに不安があります。
実母や義母に頼んでお迎えをしてもらったり、夕飯の手伝いに来てもらったりしています。
家族の力を借りないと、生活していけません。
子供たちのためにも、みんな協力してくれます。
手伝ってもらうことになったとき、最初は罪悪感と自責の念で押しつぶされていました。
私が病気になったせいで、みんなが大変な思いをしている。私なんていなければ…と。
たくさん泣きました。
今はただ、感謝しています。
早く治さなくちゃ、と焦ると、不安が募ったりイライラしたりします。焦りは毒です。
ただただ休むことが最優先。
良くなろうとしなくていい。
薬をきちんと飲んでたくさん休めば、少しずつ回復していきます。安定してきたら薬の調節をすれば良いんです。
何十万も使ったこともあります。家を飛び出して踏切まで行ったこともあります。
でも最近はそこまで大きな波は来なくなりました。
こんな母親で情けない。でも子供たちは大好きって言ってくれます。
今は布団で横になってばかりで、部屋をうろうろしてばかりで、お風呂に入れない日もあれば歯磨きできない日もあります。
鬱のときは希死念慮で泣いてばかりです。
目標は「薬を飲みながら、日常生活が送れること」。
頑張らずに生きていきたいです。
双極性障害は、躁と鬱をくりかえす病気です。
私は軽躁の2型で、躁のときの症状は、
などです。
今日もイライラしていたので、部屋をうろうろ歩き回っていました。見かねた家族に「散歩でも行ったら」と言われ、化粧せず上着とマスクをして、財布とスマホと鍵だけ持って家を出ました。
あたたかーい飲み物を買い、近所の公園のベンチにきました。おじさんたちが同じようにコーヒーを持って座っていました。
空は青いし、すずめはチュンチュンだし、ぼーっとするには最高です。
普段は引きこもっているのでちょっと歩くだけでも疲れました。
頭の中は起業したい!1億円欲しい!スーツケース暮らししたい!収入が欲しい!
お腹が空いて家に帰りました。
あこがれのスーツケース暮らし。少ない荷物で暮らしていくのが夢です。
今日はメイク用品を見直すことにしました。
ブランドなどにはこだわってないので雑な感じです。メイクする機会も少ないです。引きこもりなので。
一年使わなかったら処分でいいですね。さようなら。
セーターはかさばるのでやめようと思っていましたが、綿100%で気持ちの良い薄手のセーターがあったので足すことにしました。
憧れのスーツケース暮らしまで、まだまだ道のりは遠いです。
ミニマリスト に憧れていても、家族がいると同意がなければミニマリスト にはなれません。
しかも子供がいるとなると、ゲームやおもちゃ、ぬいぐるみ、園のあれこれや学校のあれこれ、とにかく荷物が多い。
けれどスーツケース暮らしへの憧れが諦められず、自分の荷物だけでもスーツケース暮らし化しようと思い立ちました。
まず考えたのは、スーツケースに入れる荷物はなんだろうか、ということ。
生活を維持できることが条件で、自分の持つ荷物を考えました。
出番の少ない入学式や卒業式に必要なフォーマル、喪服、結婚式などのお呼ばれドレスはカウントしないことにしました。
趣味のミシン、手芸道具もカウントしないことにします。
本は考えましたが、最低限のお気に入りだけに減らして、本棚に置いておくのでカウントしません。
だいたい決まったところで、下準備は完了。
1番多いのは洋服!わたしは双極性障害で、躁のときに買った服が山のようにありました。
こんなに捨てるなら買わなければよかった…お金がもったいないし服にも申し訳ない。躁はおそろしい。
洋服はスーツケースの中でも一番かさばるので、よく考えなければいけない気がします。
おしゃれも楽しみたいし、荷物も少なく済みたい。
まるで旅行に行く時のようなワクワク感。
スーツケース暮らしまでの道のりは遠い…まだまだ続きます。