自分を許すこと

子供の頃はいい子だった。

それは親にとってのいい子。

先生にとってのいい子。

言うことを素直に聞くいい子。

いい子だねって言われるのも嬉しかった。

でもやりたいことを我慢して

やらなきゃいけないことを頑張ってくうちに

疲れてしまった。

都合の良い子になるのは

自分にとってもいい子だっただろうか。

自分の欲求や考えを禁止してまで

いい子であるのはよいことだっただろうか。

でもそれが生きる術だった。

大人になった。

大人になっても苦しさが抜けない。

自分の思考や欲求を

許すことにした。

ていうかそれがそもそもの人としての権利だったことを知った。

それから少しづつ

辛い時は休めるようになった。

まわりのことも禁止しないで許せるようになった。

少しずつ息ができるようになった。

ずっと息苦しかった。

少しずつ自由を手に入れた。

今日もやることはあるけれど

寄り道をして買い物をしよう。

希死念慮の分解

希死念慮も自動思考な気がしてきた。

わたしは頑張りすぎるか死にたくなるか、極端すぎる。認知の歪み。

もし希死念慮の死にたいが自動思考なら。

疲れた。

休みたい。

もうやめたい。

逃げたい。

という気持ちが含まれている。

ただ命を断ちたいだけじゃない。

ストレスを感じている環境から離れたい。

あえて普通という言葉を使うけれど、

普通の人なら、

釣れたー休むわーとか

無理だわーきついわーとか

そういう状況の時に気づければいいのだけど

そういう時でも

皆もそうだからとか

できて当たり前だからとか

頑張らなくちゃって

そこで頑張りすぎて

体や心が動かなくなって

死にたいが来る。

本当に死なないための安全装置。

環境を改善できるのがいいけれど

とにかく死にたい自動思考をもっと分解して

しんどいとか

休みたい

そのくらいのときに

何とか出来ればなって

ただそうもうまくいかないのが

つらいところ。

空が青くてさ

散歩に出かけたんだ

空が青くてさ

風が通り抜けていった

水のせせらぎ

木のざわめき

心のもやもやがすうーっと

流れていった

あぁ 疲れていたんだなあって

思ったよ

ぼくは癒しを求めてたんだ

また明日から歩き出せるかな

青い花

青い花咲いていた

地面を埋めつくす

空の色が咲いていた

風にゆれて

咲いていた

青い花咲いていた

空の色が咲いていた

きれい きれい

きれいだな

外へ

たくさんのほしいものを買っても

満たされなかった

そとはこんなにも

風が気持ちいいのに

無機質なプラスチックにかこまれて

満たされるわけもなかった

パーカー1枚はおって

小銭だけもって

外へとびだそう

得られるものがきっとある

そとへ

頑張りすぎちゃう病。

おい。自分の限界を知ってるか。

自分のペースを知ってるか。

わたしは頑張りすぎちゃう病だ。

限界が来てもう無理ーって泣くまで

頑張りすぎてることに気づかない。

無理してる。

全力でアクセル踏んでる。

ガードレールにぶつかりまくりながら走ってるようなもんだ。

ほんでもって全力でブレーキ踏む。

そりゃぶっ壊れるよな。

何でだ。どうした。

もっとうまく生きられないのか。

だから精神病患ってるんだけど。

頑張りすぎ病だよね。

緩め方しりたい。

いつもここにいる

空はこんなに青くてさ

いつもここにいる

勝負に勝てなかったあのときも

あの子に振り向いてもらえなかったあのときも

頑張って走りきったあのときも

夜遅く帰ったあのときも

楽しいことが見つからない今日だって

明日が見えない夜だって

幸せな気持ちで眠る日だって

心地よい目覚めの朝だって

僕らはぐるぐる変化して

時は止めることも巻き戻すことも出来なくて

雨が降る時も

暑い夏の夜も

寒い星の夜も

月明かりの日も

燃えるような夕焼けも

7色の朝焼けも

いつもここにいる

ただそれだけでいい

ただそれだけでいい

気づいたらずっと悩んでる件

いつもイライラしてなんとなく不幸せな気持ちでいる。憂鬱な抑うつ状態が続く。

でも気づいた。

時間があると悩んでる。

しかも何に悩んでるのかよくわからない。

散らかった部屋のことかも。今後のお金のことかも。憂鬱な気持ちをどうやったらいいかかも。病気のことかも。仕事のことかも。

気づくとぐるぐるぐるぐる悩んでる。

しかも解決方法はみつからない。

どうしたらいいだろう、どうしたらいいだろう、ばっかりで「どうしたい」が入ってない。

気づいた。無駄に不幸だ。無駄に憂鬱だ。

そんだったら楽しいこと考えた方がハッピーだ。

お金が沢山あったら何しよう。今度の休みはどこ行こう。おやつに何食べよう。かわいい服、どんなコーデできる?新作のあれ、ゲットしたい。温泉に行くのもいい。部屋の飾り変えてみようかな…。

絶対楽しいこと考えた方が気分がいい。

どうせならリスト化して順番に楽しいこと消化してったらどうだろう?そうだ、シールやスタンプも買って可愛いノートに書いたらどうかな?引き出しのカラーペンまだ使えるかな?…

悩んでるのに気づいたら、悩むのやめて楽しいこと考えよ。

自分が自分の味方になる(あたりまえで難しいこと)

自分の中で反発した二つの思考に板挟みになることがよくある。

片付けしなきゃ(思考)とやりたくない(気持ち)。

誰にでもあるけど、人によってそのときの行動は分かれるらしい。

やりたくない気持ちを無視して、嫌々片付ける人。

とことん休んでから、やる気になってやる人。

私は前者だ。いつも自分の気持ちを無視してしまう。

自分の気持ちを無視するのが常習化すると、、タチが悪い。自分がどうしたいのか分からなくなるからだ。そして鬱憤がたまっていく。

しかも、片付けたいじゃなくて、かたづけなきゃ。〜〜しなきゃは、自分のやりたいことて゛はない場合がほとんどだ。

それはかつて、親や学校、環境から学んだ「〜〜であるべき」「〜〜したほうがいい」とかから作られた自分なりの処世術かもしれない。でも本当はやりたくない。

自分のやりたいようにやりたいのに。

自分の気持ちを自分が無視する。

それはやがて「イヤイヤ期」になる。

自分の気持ちが暴走し始めるのだ。

やりたくない。あれもイヤ。これもイヤ。何にもしたくない。

休ませろ。遊ばせろ。自由にしろ。私を無視するな。

これは自分からのSOSだ。聴き逃してはならない。

3食きっちりとるのをやめる。食べたい時に食べたいものを食べる。飲みたいものを飲む。寝たい時に寝る。やりたくなったら片付ける。

欲しいものを買う。捨てたいものを捨てる。

聞きたい音楽を聴く。行きたいところに行く。着たい服を着る。

自分の思うがままに行動する。とても大事なこと。

「ご飯は食べなくちゃいけないし…」「物を捨てるのは勿体ないし…」「お金使っちゃだめだし…」「こんな服年齢に合わないし…」沢山あるだろう。

でもそんなん知るかで押し通す。

あたりまえなようで、難しいこと。

という訳で今日はイヤイヤ期が来てるので自分を甘やかそうと思います。

真面目で完璧主義はうつになる

よく見かけるこれよ。

真面目

完璧主義

正義感が強い

全当てはまり。

まあ双極性障害だけど。うつ病とはちょっと違うけど。

こんな、「いい人」のお手本のような性格がうつになりやすいなんて、どうやって生きてったらいいのん。

それを美徳としてならってきたのに。

鬱期はつらぁい。

甘えとかじゃない。

鬱でも頑張ってしまう。

そしてすり減っていく。

体が重い。気持ちが重い。横になっても休まらない。

もう何年も精神科に通ってんのによくならねえ。

生き方変えないと無理だよ…

でもどうしたらいいのかわからん…

まず休んでいいってのがわからん…

自分がしあわせになっていいのかもわからん…

どこか無意識の深いところで

❌❌でなきゃダメ

❌❌しなきゃダメ

みたいな縛りの声がきこえてくるねん…

己に縛られとんねん…

結局は抑うつも

ありのままの自分を受け入れられない自分が

怒って悲しんでいる

そんな気がする

小さな自分がずっと

泣いてる気がする